「Silicon Valleyはなぜ今もSilicon Valleyたり得ているのか?」-この問いを通史的に比較考察したのがこの書籍です。著者AnnaLee Saxenian教授はU.C.BerkeleyのSchool of Information学部長で、著作『The New Argonauts: Regional Advantage in the Global Economy 』を通じて”Brain Circulation”(頭脳還流)を唱えた著名な経済地理学者です。何を隠そう、自分がStanfordと同時にU.C.Berkeleyに出願した時、エッセイで「この人の下で学びたいです」と書いたのがこのSaxenian教授でした。

Brain Circulation(頭脳還流):
中国やインド、台湾、シンガポール、イスラエルなどから主に大学院学位取得のために米国に移住した人々が、工学系専門教育を受けた後に米国労働市場内(例:Silicon Valley)で経験値を蓄積し、自国に戻って起業・技術開発などを主体的に手掛け自国経済の活性化に寄与すること。優秀な人材が国外に出ることを嫌い、表層的で一貫性の無い政治解決・長期的ビジョンの無い教育システムのせいで国際競争力の低い日本にとっては死活問題。


MITを中心とするRoute128が衰退する一方で、StanfordやU.C.Berkeleyが座すSilicon Valley経済圏は活況を呈しており、その競争優位の有無を決めるのは地域文化であり、政と官に依存せず産業を成長させ市場を切り開くためには何が必要かが記されており、何かあればすぐ『政府主導の国家プロジェクト』を立ち上げてお金をつぎ込もうとする日本に、本質的に何が欠けているかを教えてくれるはずです。自分は原本の方を読んだのですが、かの大前研一訳で出版自体は約15年前にされている古い本のためYahoo!やGoogle、Facebookは登場してきませんが、歴史書としても文化経済学書としても、そしてビジネス書としても非常に価値のある1冊です。名著です。

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【Route128】
(20世紀初頭) MITは固定物理・電子工学研究の中心地として繁栄した。
民間投資よりはるかに多額の資金が連邦政府から注ぎ込まれる→軍需産業へ傾倒する。
(第二次世界大戦期) MITやHarvard等の大学や企業の研究施設が林立するResearch Rowは知的労働者・技術労働者の人材源となる。
(1970年代) 防衛市場や航空宇宙市場への依存度低下
厳しい不況からRoute128を救ったミニコンピュータ産業の急成長(防衛需要の重要性希薄化)
Route128沿線技術集積地域は労働者約10万人を擁し、以後10年の爆発的成長を迎える。
- コンピュータ産業260億ドル(1980年)の売上34%を独占
- Washingtonからの距離の関係で、連邦政府の役人との交渉ではCaliforniaの企業より有利になることも多かった。

しかしRoute128のリーダーは社会的に目立たずコミュニティーの一体感を醸成しなかった。
- 『Route128の従業員や経営者が社会生活の上でも保守的で情報交換や外部依存にも消極的なのは、自立と内省を重んじるピューリタンの伝統のためである』(DEC創設者 Ken Olsen)
- 新たな試みやリスクを引き受けることより安定と会社への忠誠が重んじられた。
- 転職は感心できないとして長年勤続するプロフェッショナルが好まれる傾向が強かった。
『DECは島のようなものだった。地域経済から孤立して独自に動く大組織だった』(Gordon Bell)
- 地域コミュニティーと距離を置いた秘密主義孤立自給体制
形式重視の意思決定手順や経営手法と長年勤続する忠実な従業員、保守的な職場慣行や労働スタイルを合わせた組織作り ⇔ 分権組織と参加型文化を基盤とする経営モデルを実施したDEC
- 会社に対する強い忠誠心とボトムアップの意思決定、自社製品の持つ技術的価値に対するプライドを中心に据えた強烈な企業文化
- 『ユニークではあるが生産的な環境が持つ、孤立した運命共同体』

その後Route128の企業は依然として形式重視ピラミッド型組織・保守的トップダウン経営方式を実施し、社内格差は拡大、職能間交流・情報交換を好まない文化が形成された。
機密重視の家族的文化は退職社員を村八分にしてRoute128の起業家活動を抑制し、経験豊かで野心的な技術者は、技術的刺激に満ちた事業機会を求めてNew Englandから、ますます混雑するNorthen Californiaの高速道路(Route101)沿いに移り、Route128の衰退は加速した。
- ミニコンピュータ産業の成熟化は地域衰退の理由の一つに過ぎない。
- 量産市場の効果的細分化の進展で、独立企業型産業システムの優位性は次々と覆されていった。


【Silicon Valley】
1937年のHewlett Packard社の創立と共にSilicon Valleyの歴史が始まる
“Stanfordが果たしたユニークな役割と起業家精神を尊ぶ地域の気風”
Terman教授がWilliam HewlettとDavid Packardに可聴周波発振器の事業化にポケットマネー538ドルを投資し、初期実験の必要資金用のアルバイト・商業生産開始資金借入も手配した。
- Walt Disney Studioからの発振器8台の注文からスタート
- 軍事需要を経て事業を軌道に乗せる。
Terman教授の積極的な後押しを受けたHewlett Packard、Litton、Varian等の企業が商業的成功を収め、Northen Californiaはエレクトロニクス生産の新中心地として確固たる地位を築く。
Boston一帯の大きな技術のうねりに深い感銘を受け、Terman教授は優秀学生の東部流出を食い止めようと固く決意、Stanfordと地域産業が密に連携し、開放的・協力的発展を目指し全力を傾倒した。
「このようなコミュニティーは、高度な技術を用いる様々な産業と、周囲の産業の創造力に満ちた活動に敏感に反応する強い大学とで構成される。こうした形こそ将来の流れであろう。」

(1950年代) 革新的制度でTerman教授は大学と地域産業との協力を実現
(1) SRI(Stanford Research Institute)の設立
- 「従来の大学の役割とは相容れない可能性を持つ、実用目的の科学追求」を使命とした。
(2) 「特別協力プログラム」を通じた地域企業への大学授業の開放
- 大学院コース受け入れ、教育用TVネットワークによる遠隔講義聴講
(3) Stanford Industrial Park(工業団地)の開発
- 先端技術センターの創設が目的
- Stanfordに近く、大学に利益をもたらすポテンシャルの高い技術企業にリース
- 工業団地の企業は、Stanfordの教授をコンサルタント、卒業生を社員として採用
猛烈なスピードで地域の産業基盤が拡大していき、1960年代後半にSanta Claraは航空宇宙産業とエレクトロニクス産業の中心として広く認められる。

(1955年) Shockley半導体研究所がPalo Altoに設立される→1970年代にはRoute128周辺の企業群を追い抜き、半導体の技術革新・生産中心地として地位を確立する。
(1957年) 「8人の裏切り者」が研究所を抜け、競合会社Fairchild Semiconductorを設立
- 投資金融業者Arthur Rockの後見でFairchild Camera and instrumentの支援を受ける。
- 政府発注と共に本格的成長(空軍やNASAなど)、8年で新企業10社が独立する。
- 1968年には創立者8人は全員Fairchildを去った。
(1968年) Robert Noyce・Gordon Moore・Andrew GroveがIntelを創設
- Arthur Rockから事業計画書無しで250万ドルの資金獲得
8人の裏切り者の他のメンバーはSilicon Valleyで有名な起業家・ベンチャーキャピタリストになる。
- 後にDonald ValentineはSequoia Capitalを、Eugene KleinerはKleiner,Perkins,Caufield & Byers(KPCB)を創業した。
『Farchildren家系図』=シリコンバレービジネス文化の特徴を成す、リスクを恐れぬ起業家精神と激しい競争を伴う個人主義への賛歌

(1970年代) Silicon Valley新設企業の主な資金供給源が軍需産業からベンチャーキャピタル(投機的資本)に移る。
1950~60年代、中小企業投資優遇税制に刺激され、個人投資家はCaliforniaに小規模事業投資会社や投資組合を設立、ベンチャーキャピタルの成長は地域の半導体産業の成長に支えられていた。
- 起業成功者が事業で儲けた金をさらに有望な新企業に投資した。
- MITと対照的にStanfordも一貫して基金の一部を新企業に投資した。
大学内研究と軍事支出、リスクを恐れぬ起業家精神が融合して局地的な産業発展が促され、独自に拡大し続けるダイナミックな流れに成長し、形式に囚われない人間関係や互いに協力する伝統を築き、新しい試みを支える力になった。
Silicon Valleyの技術者や起業家は、地域とその職業・技術ネットワークをベースにした柔軟な産業システムを構築し、事業・技術リスクを敢然と引き受けて成功した起業家、つまりガレージから出発して繁栄企業を築き上げた人々が英雄とされた。

Silicon Valleyにおける個人的つながりの重要性:「ネットワークを通じて得るフィードバックや情報の質は情報提供者の信用・信頼性で決まることを皆知っている」
- Home Blue Computer Club(コンピュータマニアの非公式ネットワークの中心)からAppleなど20以上のコンピュータ企業が生まれる。
- 見ず知らずの人間を突然雇用することはなく、自分の知り合いか知り合いの知り合いを雇用する。
転職・退職で新しいキャリアパスに挑戦する従業員を祝福する雰囲気
- 転職が普通の状態
- 革新的な小企業は大企業より優れているとSilicon Valleyの技術者は固く信じていた。
- 1970年代のエレクトロニクス企業の年間平均離職率は35%超(小企業は約60%)=高転職率はSilicon Valleyで事業をするための必要経費
- 対企業・産業より仲間に対する忠誠や技術の進歩という大義に対する忠誠の方が強い。
権限分散型の流動的環境:技術力やノウハウを速いペースで地域全体に広める。
- 『Bostonでは6週間かかる戦術的決定が、Cupertinoでは長くて6日、短ければ6ナノ秒で済む』
Silicon Valleyの社会ネットワークや職業ネットワークが一種の組織を超える組織として働き、技術者たちは協力者を様々に組み替えながら技術進歩を推進していった。
技術遷移が激しい産業ではSilicon Valleyのネットワーク型システムの方が有利だった。
(1970年頃) 電子部品・半導体企業雇用者数はRoute128を逆転
- 機密保持や垂直統合、形式的階層構造を重視するRoute128型システムは、マスマーケットと価格競争中心の環境では極めて価値ある安定をもたらした。
- しかし技術や市場が不安定な環境では自給自足戦略や独立企業組織システムには限界がある。

リスクを引き受ける人を応援し、失敗が許容される文化
例)半導体製造装置・後工程のコンサルティング会社の設立資金集めに6日しか要さず
- Fairchild在籍時代に築いた職業ネットワークを活用
- ベンチャーキャピタリストは有望なチャンスを逃さず迅速に行動する
新事業を興すのは地域内の他企業で働き事業運営経験と技術的経験を身につけた技術者で、現在の職場では自身の革新的プランを実現できない者が友人や元同僚と組んで新企業を興すのが典型的だった。
- まず事業計画を作成→技術者・起業家上がりの地元ベンチャーキャピタリストに資金と助言を仰ぐ→大学研究者やコンサルタント、専門業者に援助を依頼する。
- ベンチャーキャピタリストは、自身の出資する新事業を資金面だけでなく技術や事業運営経験、産業界人脈の面から援助する(地理的に企業と近接していることも継続的関係維持に役立つ)。
- 産業界団体による積極的な産業構造整理
- 弁護士や市場調査会社、コンサルタント会社、PR会社、エレクトロニクス製品販売業者など、技術産業問題を専門に扱うサービス業者の大きな役割を果たす。
- 関連会議やカンファレンス、パーティーなどを催し、情報交換の場の貴重な仲介役となった。
- 地域の大手法律事務所も、知的財産やライセンス、新企業設立、商法等、技術会社の重要分野を専門に扱うと共に、ミーティングの場もセッティングした。
隣人に対して親切にしようという単純な気持ち:技術進歩への忠誠心を持ち真剣に取り組むことで産業コミュニティメンバーは1つにまとまっていく。
企業は市場シェアと技術優位性を求めて競争しながらも、固有の協力の慣行に助けられている。
Silicon Valleyのパラドックス:「競争のための不断の技術革新には企業同士の協力が必要」
既存技能やノウハウを新しいアイディアや技術と組み合わせることが容易になり、地域企業は様々な技術可能性を追求できた。

Hewlett Packard方式の経営スタイル
- 個人の意欲に対する信頼と自主性の尊重、気前の良い福利厚生制度が特徴
- 創造性と自主性とチームワークを育む人間的な文化→オープンで参加型の文化構築に寄与
- 『共通の目的とチームワークを重視する一方で、個人の自由と自主性を積極的に応援し、時には要求さえする参加型の経営手法である。企業は、話し合いを通じて明確な目標を定め、データを共有し、必要な資源を提供する、等の形で社員に指示を与える。それでいて、社員には、会社の成功に貢献する方法を自分で考え出すことが期待されている。』(Harvard Business School)
Silicon Valleyの新米マネジャーたちは、既存のモデルのイミテーションではなく、堂々と新しい組織概念を試していった


(1980年代) Northen Californiaへのベンチャーキャピタル投資額はRoute128の2~3倍以上
『どういうわけか、Californiaの企業では、物事が速く片付き、商談も速く決まる。技術を応用するのも速いようで、我々が金を使うペースも、毎年Californiaの方が速い。』
- Sun Microsystems、Conner Peripherals、Silicon Graphics(SGI)は1980年代に誕生、目覚ましい成功を収めた。
- 『高度産業基盤が近接する地理的環境なくしてSGIの継続的技術革新はできなかった』
- 地域格差(不動産コストや賃金、税率など)や防衛支出は両地域の実績差の原因ではない。
1980年代にはSilicon Valleyは技術パイオニアが固く結束したコミュニティーではなくなっていたが、オープン文化や事業活動ペースの速さ、協力的慣行は残っていた。
- 『Silicon Valleyでは、誰かが失敗しても、まず間違いなく数ヵ月のうちに、別の会社を作ってまた登場してくることが分かっている』(Apple CEO John Sculley)
激しい企業間競争ゆえに新企業は独自市場を見つけて守る努力を惜しまない一方、競争と協力が複雑に絡まった中から、技術革新が生まれていった。そしてイノベーション競争はライフサイクルモデルが提示する産業成熟化理論を根底から揺るがしている。
- KPCBは日本企業モデルを手本に財閥ファンド化し、投資総体の強化だけでなく、個々の投資先企業の強化にも役立つネットワークを創出した。
- コンピュータ・半導体企業が安定したコスト中心の競争を嫌い、新製品や適用分野を次々に生み出して新市場を創る戦略を選んだ時、製品ライフサイクルは飛躍的に短縮した。
- 新競争環境は実験や学習を促進する力・様々な技術的可能性を追求する力を持つSilicon Valleyの地域ネットワーク型システムに有利に働いた。

『ハイテクノロジーは「大変革の鉄則」に従う。このゲームではルールが変わり続けるということを、喜んで受け入れなければならない。』(Sun Microsystems Bill Joy)
Sun MicrosystemsなどのSilicon Valleyの新システムメーカーのほとんどが最終製品のシステム設計・組立、自社能力の中核を成す技術進歩に集中的に資源を投入した。
- 新製品開発のコストとリスクをパートナーや供給業者と共同で負担
- 外部供給業者ネットワークに大きく依存=状況変化に素早く対応できる柔軟性
- 意思決定と権限を大きく分散させた水平的組織の形成
『このビジネスには安定した状態など無い。会社は絶えず変えていかなければならない。製品系列が18ヵ月ごとに変わるからだ。一度サイクルを逃すと、追いつくのは並大抵なことではない。抜き返すには10倍の努力が必要だ。我々は2年毎に会社の組織を変えなければならないので、変化に備えた態勢をとっている。変化に抵抗する大きな勢力ができないよう、変化していなければ落ち着かないという人たちを雇うようにし、新製品を早く市場に出すことを主眼に様々な分野から人を集めた「小さなチーム」をベースに、極めて流動的な組織を作っている。』(SGI CEO Edward MacCracken)

Sun Microsystems、年商35億ドルを達成(1990年)
- Sunの旗印の下で独立5企業に分割(プラネット)→市場を企業内部に持ち込むため権限を分散
Silicon Valleyのネットワーク型産業システムが持つ2つのパラドックス
(1) 地域の専門企業の成功は、広く認知された技術標準の存在に依拠していた。
(2) 供給業者ネットワークの成長は市場アクセス面で大企業の優位性を低下させた。
『Silicon Valleyは、標準化とモジュール化という新しいトレンドの中心だ。そのおかげで企業は専門化を進め、ごく短期間で製品を発売することができる。Silicon Valleyでは、必要なソフトやハードのモジュールが簡単に見つかるので、専門分野に力を集中することができる。そして本当に短期間のうちに新製品を開発することができるわけだ。他の土地では、とてもこれほど簡単にはいかないだろう』(SGI CEO Edward MacCracken)
(1990年頃) Silicon Valleyは、単なる個々の企業や熟練労働者、資本や技術の集積を超えたものになり、企業間や産業間を結ぶメーカーの複雑なネットワークがますますしっかりと築かれ、技術革新を進めてネットワーク内の企業をともに成長させていた。
地理的近接性はグローバル時代でも重要であり、”専門化”と”協力”が補完的に柔軟かつ開放的なイノベーションを促進し続けた

地域産業政策の出発点=地域ネットワーク構築・発展を支える集団たる主体性と信頼を育むこと
- 企業が状況変化に対して迅速に学習し対応するのを手助けする政策が必要である。
- 利害関係を有する地域の当事者たちが情報交換、交渉、協力する中で政策案が生まれてくるべき。
- 資本、研究成果、経営・技術教育、訓練、起業家への援助、市場情報等を提供する機関は分散型産業システム内の企業には不可欠である。
- 特定の地域・産業コミュニティーの具体的問題・条件に合わせて作らない限り機能はしない。

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参考記事『IT人材がシリコンバレーを去る時