【書評】『Google誕生 ガレージで生まれたサーチ・モンスター』

Google。もはやインフラ化してしまった感のある検索エンジン。恐らく100年後の世界史の教科書にはこの企業の名前が載っているはずです。
「この情報を知りたい」という我々の欲望をいとも簡単に提供してくれるGoogleのスタートアップから株式公開までの歴史に焦点を絞って、本書を読みました。
『世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにする』という設立当初からの使命を愚直なまでに追求し、自分たちが正しいと信じる道を貫くことの厳しさ・楽しさ・尊さ全てがこの本の中に詰まっていました。
このGoogleの成功は、「他を寄せ付けない圧倒的な技術優位性」「ビジネスモデル」「シリコンバレーの開放的かつ柔軟な協力文化」、そして「運」だと自分なりに分析しています。
Sergey BrinとLarry Pageの2人がStanfordのキャンパスで出会う奇跡から始まり、「検索」という行為が事業として成立可能だと気付かずイマイチの検索エンジンを提供していた競合他社の存在、その比較対象としてのGoogleの登場、ITバブルが弾け切った後の加速的普及、Danny Sullivanとの継続的な関係、Eric Schmidtとの邂逅、例を挙げればキリがありませんが、Googleは神に祝福されているとしか思えないのは自分だけではないでしょう。
また、BrinとPageがとことんGoogleの性能向上に専念できたのは、このビジネスに失敗してもStanfordに戻って研究すればいいやといった精神的余裕があったからこそだと思います。『高いレベルのセーフティネット』を持っていたからこそ、安心して自分の信じた道を追求できたというのは間違いではないはずです。
とにかく、Googleの性能が良かったから我々の生活にWeb Searchが組み込まれたのか、潜在的に「検索」という行為を求めていた所にGoogleがタイミングよく現れたのか、どちらのシナリオが正しいのかは分かりませんが、『Googleが10兆円の時価総額を叩き出している』という現状から目を背けると、あっと言う間にGoogleの本質が見えなくなってしまうことでしょう。その技術やビジネスモデルといった物質的な優位性だけでなく、高いブランド価値で人の心も掌握し、神に愛されるかの如く”時間”を制したGoogle。巨大化し過ぎてMicrosoftの二の舞として反トラスト法担当局に目を付けられたり、地元シリコンバレーのインサイダーたちからやっかみを受け出したりしていますが、市場経済の競争原理の中で正のスパイラルを生み出しつつ、確固たる使命の飽くなき追求のためにこれからも突っ走っていってほしいですね。
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Sergey Brin & Larry Page(コンピュータ第二世代)
- Stanford Universityのコンピュータとネットワークをふんだんに活用
- 運用管理に万ドル単位の費用がかかったが大学側を説得)
- Prof. Rajeev Motwani & Prof. Terry Winogradの積極的な支援
- 「二人は会社を興すために始めたのではなかった。精度の高い検索を行うために始めたのだ。」
1996年 BackRub(後戻り可能な検索エンジン)開発(PageRank導入)
- 論文:The Anatomy of a Large-Scale Hypertextual Web Search Engine
1997年 ミススペルをキッカケに生まれたネーミング:Google(http://google.stanford.edu/)
1998年 AltaVistaやYahoo!、Exciteに100万ドルで売却提案するも拒否され、自身で起業という道を選択せざるを得なかった。
- 「大学をやめるか?サイドジョブでやっていくか?どちらを採るべきか二人はとても悩んでいた。」
- 当時検索エンジンのマネタイズが可能だと考える人はおらず、ポータルに資金が集中していた。
Andy Bechtolsheimから渡された奇跡の10万ドル小切手(Prof. Cherintonの紹介)
- そのアイディアは自分も納得できる現実的な問題を解決しているか?実際に利益を生み出すビジネスになり得るか?そして創業者が優秀で情熱的で有能であるか?
- 『自分たちの検索エンジンに全てを語らせようとしていた』
- デモンストレーション、広告・装置購入に大金を注ぎ込まずコンピュータを安く自作、VCに資金調達しに行く前に検索可能データベース開発を考えていた
- 成功者Bechtolsheimの裏書=家族や友人に資金援助を依頼する際の信用証書
1998年9月7日 Google社創業(月1700ドルのガレージ・3億ページをインデックス)
1999年初にUniversity Avenueに引っ越し→口コミで広がって行き検索数が1日50万件超
- シリコンバレーの同業者たちが実際には持っていない何百万ドルもの大金をスーパーボウルの広告や過度のマーケティングに注ぎ込んでいる間に、『PCマガジン』誌のピックアップを経て、1セントも宣伝費を使わずに人気と知名度を高めていった。
・・・しかしサーバが限界
VCを研究・・・会社経営権を手放さずに優良ベンチャー企業から資金調達するという確固たる決意
- 玄人からの投資金は玄人筋の人脈につながり、それでテクノロジー会社を興したり会社で一山当てることができるかもしれない
- しかしVCに経営権を譲渡すると、企業創業者の理念が破壊されたり将来性ある画期的技術が台無しにされてしまう恐れがある
定評ある一流VC2社=Kleiner,Perkins,Caufield & Byers(KPCB:John Dower)・Sequoia Capital(Michael Moritz)
→両方か出さなければどちらからもいらない!
BrinとPageは2人でいるからまさに完璧(Moritz)
- ビジョンを共有する起業家2人が設立した新興企業の方が1人の創立者が興した企業よりも成功確率が高い
- 『Googleの2人には非常に高い目的意識があった。それは、会社を興したいと思うようなちょっといかれた者ならみんな持っていなければならないものだ。この燃え上がる信念があるからこそ、避けられない障害も克服できるのだからね。』(Moritz)
- 実はJeff Bezos(Amazon CEO)はBrinとPageの早くからの投資者で、非公式のアドバイザー的役割を果たしていた(DowerはBezosを通じてGoogleに接触)
結果、シリコンバレー全土驚愕のKPCB・Sequoia両方から1250万ドルずつのダブル出資を獲得
(BrinとPage2人が株式の過半数以上を保有して経営権を維持・経験豊富なCEOの雇用が条件)
検索と広告
サーバ数:300台→2000台→4000台・・・
データセンター:カリフォルニア北部2ヵ所、ワシントンDC・・・米国全土、海外に次々と増設
Danny Sullivan(検索エンジンのGuru(権威者)):Search Engine Watchを立ち上げ検索エンジンに関するオンラインニュースレター発行→Search Engine Strategies主催・・・BrinとPageはSullivanと関係を築きたいと思っており、自分たちの検索エンジンについて世界中に情報を流してくれればお金をかけずに宣伝できると考えた。
広告モデルの導入―Overtureに着目
Overtureとの提携ではなく、自社開発で検索結果連動広告を制作
- Googleのシンプルなインターフェースを損なうことなく、「スポンサーリンク」を検索結果と同時に出す(検索結果上部)
- 検索クエリとの関連性も考慮して順序付け
「2人が普通の人と違っていたのは、なぜ情報の検索結果と広告の表示を別々にしなければならないか、その意味を理解していたことだ。」(Sullivan)
アフィリエイトプログラム:ユーザーのサイトに検索ボックスを設置可能に→検索1件に対し3セントキックバック
2000年6月 Yahoo!がGoogleを採用→存在感と注目度は一気に高まる
2001年初 検索件数1日1億件
この頃から続々と新サービス投入:検索結果の右3分の1にも広告掲載・「もしかして×××?」・イメージ検索・Google News
2001年3月 Eric Schmidt取締役会長就任(U.C.Berkeley博士号保有・PARCやべル研での研究経験・サンマイクロシステムズCTO・ノベルCEO)
2001年3月 Eric SchmidtCEO就任(Google優先株を自己資金100万ドルで購入・BringとPageの経営権は維持)
2002年5月 AOLとの提携
- 3400万人のAOLユーザーを獲得(当時はInktomiとOvertureを利用)
- 検索・検索結果連動広告共にGoogleが提供し、収入は分割
検索プロバイダEarth LinkやAsk Jeevesとも提携
2002年は売上4億4000万ドル・利益1億ドル
2004年上半期は売上14億ドル・利益1億4300万ドル
2004年8月 株式公開
- ダッチオークションを採用:主要投資家から小口投資家まで誰もが株取引に参加できる
- ウォール街に蔓延する新規株式公開時の過小根付け慣例を覆そうとした
- 『Googleは因習的な会社ではありません。そうなろうとも思っていません。』
- ナスダック上場:1株85ドルで売り出し100ドルの値が付く
- 初期市場価格231億ドル(=時価総額約2兆5000億円超)
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